-노라(고) · -노라면〜していると言って/〜と思って(古風な引用)・〜し続けていると(やがて)
意味
二つの系統に気をつけてね。 ① 「-노라(고)」について 話し手が自分の行為を古風で荘重に「我〜すなり」と宣言・引用する、文語的な語尾だよ。今の会話では「-노라고」が「自分なりに〜しているつもりで / 〜のつもりで(ちょっと言い訳がましく)」という使い方で残っているんだ。 例えば:돕는다고 한 것이(助けると言ったこと) → 돕노라고 한 것이(助けているつもりでやったことが) ② 「-노라면」について 「-다(가) 보면」の文語・古風なバージョンで、「長く〜し続けていれば(やがて・自然と)」という条件・経過を表すよ。 例:살다 보면(生きていれば) → 살노라면(ㄹ脱落で 사노라면) 荘重で文学的だから、日常の話し言葉だと浮いちゃうよ。
形
동사 어간 + 노라 (+고) · 동사 어간 + 노라면
動詞の語幹 + 노라 (+고) · 動詞の語幹 + 노라면
接続ルール
動詞の語幹にそのまま付けるよ。パッチムがあってもなくても形は変わらないんだ。
例:가다→가노라、먹다→먹노라。
★ㄹパッチムの動詞は、ㄴの前でㄹが消えるよ。
例:살다→사노라、만들다→만드노라、알다→아노라。
ㄷ・ㅂ・ㅅで終わる不規則動詞は、ここでは変化しないよ(子音の語尾だからそのままなんだ)。
例:걷다→걷노라、듣다→듣노라。
「-노라고」は話し手が自分の行いを言う引用に、「-노라면」は「ずっと〜していると(やがて)」という古風な条件に使うよ。살다 보면の古い言い方が사노라면だね(ここでもㄹが消えるよ)。主に動作を表す動詞に付いて、形容詞にはほとんど付かないよ。
例文(3)
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긴 인생을 살아가노라면 누구나 한 번쯤은 좌절을 겪는다.
gin insaengeul saraganoramyeon nuguna han beonjjeumeun jwajeoreul gyeongneunda.
長い人生を生きていれば、誰でも一度くらいは挫折を味わうものだ。
패턴→의미: '-노라면'='-다 보면'の文語形=「〜し続けていれば(やがて)」。끌어내기: 「살아가다(生きていく)に『長く続けていれば』を文語で付けるなら?」→学習者『살아가노라면』。分解·매핑: 어간 살아가-(生きていく)+노라면(〜し続けていれば)。살아가다は받침なし語幹だが'-노라'は받침無関係にそのまま付く(살아가노라면)。인터리니어: 긴(長い) 인생을(人生を) 살아가노라면(生きていれば) 누구나(誰でも) 좌절을(挫折を) 겪는다(味わう)。会話なら '살다 보면'が自然、これは文章·演説調。
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나는 조국을 위해 한 몸 바치노라 굳게 다짐했다.
naneun jogugeul wihae han mom bachinora gutge dajimhaetda.
私は祖国のために一身を捧げるのだと固く誓った。
패턴→의미: '-노라'単独=古風な自己宣言「我〜すなり」。끌어내기: 「바치다(捧げる)を荘重に『捧げるのだ』と宣言調にすると?」→『바치노라』。분해: 어간 바치-(捧げる)+노라(〜すなり)。文学·演説の地の文で1人称の決意を格調高く述べる。인터리니어: 나는(私は) 조국을 위해(祖国のために) 한 몸(一身を) 바치노라(捧げるなり) 다짐했다(誓った)。現代会話では使わず、引用·宣言文として現れる。
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(X) 친구가 학교에 가노라고 들었어요.
(X) chinguga hakgyoe ganorago deureosseoyo.
(誤り)友達が学校に行くと聞きました。
★함정/대비。'-노라고'は『話者自身(1人称)』が自分の行為を「〜しているつもりで/〜すると」言う·思う時の引用形で、第三者(친구=友達)の行為の単純引用には使えない。第三者の引用は '-ㄴ/는다고'(가다→간다고)。正: 친구가 학교에 간다고 들었어요。또 '-노라고'は会話で『딴에는 잘 한다고 한 것이』式の自己弁護調(돕노라고 한 게 방해가 됐다=助けるつもりが邪魔になった)。주어が1인칭·자기행위인지를 먼저 확認。정문: 친구가 학교에 간다고 들었어요.